プロフィール
昭和28年(1953年) 9月19日生まれ 巳年
横浜生まれの横浜育ち(実家は磯子区)
横浜市立浜小学校から横浜共立学園中学校・高等学校を経て国学院大学へ
卒業後、横浜市立梅林小学校・公田小学校・山田小学校に奉職
平成7年 県議会議員選挙に立候補 初当選
平成11年 県議会議員選挙 2期目当選
平成15年 県議会選挙3期目当選
民主党・かながわクラブ所属
  平成19年 県議会選挙4期目当選
  平成23年 県議会選挙5期目当選
  平成27年4月 県議会選挙6期目当選
主な役職
平成28年度
  • 県民・スポーツ常任委員会
  • 青少年問題協議会
平成27年度
  • 環境・農政常任委員会委員
  • 教育・社会問題対策特別委員会委員
  • 青少年問題協議会委員
平成26年度
  • 建設常任委員会委員
  • 安全安心推進特別委員会
  • 決算特別委員会委員
  • 自然環境保全審議会 委員
平成25年度
  • 県民・企業常任委員会委員
  • 予算委員会委員
平成24年度
  • 神奈川県内広域水道企業団議会議員
  • 厚生常任委員会委員
  • 戦没者慰霊堂奉賛会役員
  • 社会福祉審議会委員
平成23年度
  • 神奈川県競輪組合議会議員
  県民企業常任委員会 委員
 
  • 震災対策調査特別委員会 副委員長
  • 決算特別委員会委員
  議会運営委員会 委員
平成22年度 県民企業常任委員会 委員
  安心くらしづくり特別委員会 委員
  児童福祉審議会 委員
  民主党神奈川県連 副代表
平成21年度 環境農政常任委員会 委員
  社会問題対策特別委員会 委員
  決算特別委員 会員
  児童福祉審議会 委員
平成20年度 総務・政策常任委員会 委員
  予算委員会 委員
  児童福祉審議会 委員
  民主党・かながわクラブ 団長
平成19年度 総務・企画常任委員会 委員
  児童福祉審議会 委員
  民主党・かながわクラブ 筆頭副団長
思い出のアルバム
子供の頃



私が生まれたのは、磯子の八十島病院。9月19日は、ちょうど観音様のご縁日で、花火が上がったり、夜店が出たりと、にぎやかな日だったそうです。

当時の磯子は、国道16号線から5分も歩けばすぐ海で、潮の香りの漂うのどかな町でした。現在、磯子区の総合庁舎のあるところが、私の通っていた「横浜市立浜小学校」。大きな桜の木がたくさんあって、海に面しており、文字通りの「浜」。校章にも確か、波が描かれていたような気がします。
校庭の端は石段になっていて、その先は海。小舟が1そうつながれており、ボールが海に飛んでいったり、帽子が飛ばされたりすると、用務員のおじさんが、ぎっちらぎっちら舟を漕いで取りに行ったりしていました。

のんびり屋で、給食を食べるのが遅く、いつも1番ビリになり、しくしく泣きながら食べていたこともありました。今からは想像もできないですって? ほんとですね。

  
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中学高校時代
 

中学・高校の6年間は、「横浜共立学園」で、過ごしました。明治初期に、外国人の宣教師によって創られたキリスト教主義の学校です。きっかけは、「近所のお姉さんが通っていて、そのセーラー服姿に憧れていたから」という他愛のないもの。まだ「受験戦争」などという言葉もない、のどかな時代だったように思います。

共立は校則が厳しく、結構きゅうくつな思いもしましたが、大変楽しい学生時代でした。多くのすばらしい先生との出会い・・・。私のような生徒でも、先生方はちゃんと愛情をかけてくださり、良いところを見つけ出しては、力を発揮できる場を作って下さいました。また、「一生もの」の良き友人たちを得られたことは、最大の贈り物といっていいでしょう。語りはじめれば、きりがありませんが、人間が生きていく上で大事なことの多くは、共立時代に培われたといっても過言ではありません。いい学校です。

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大学時代

 

某大学の芸術学部に合格し、そこに行きたかったのですが、親に「文学部にしときなさい」と説得され、国学院に進学しました。今振り返ると、もうちょっと勉強しておけばよかったと後悔しきりです。歌人の「岡野弘彦先生」が、文学部長をされていた時代。また、文化人類学の名物教授「樋口清之先生」が、楽しく熱のこもった授業をなさっていたのが印象に残っています。
クラスメイトに誘われ、「ギターアンサンブル」に入部。2年いましたが、ギターはあまり上達せず、演奏会の司会ばかりやっていたような・・・・。そうそう、去年の選挙のとき、綱島のヨーカドー前で街頭演説をしていたら、とても熱心に聴いて拍手をしてくださる男性がいました。それが一緒に司会をしていた先輩で、?十年ぶりの再会にお互いびっくり。塩見先輩、その節は応援ありがとうございました。

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子供時代



 

横浜市の教職員試験に何とか合格し、小学校に勤務。中学・高校教諭の資格は取っていましたが、研修講師という制度を利用して、小学校で副担任のような形で教えながら、午後は小学校教諭の免許を取るために勉強に行くという1年間でした。

昭和52年、はかりや圭宏と結婚。

昭和53年、長男 昌輝誕生。逆子だったため、陣痛促進剤を点滴しながらのお産。
55年、次男 卓摩誕生。3600グラムと大きかったので、大変でした・・・。

昭和58年、夫、県議選に初挑戦し300票差で次点。
59年、三男 宗範誕生。陣痛が始まって3時間くらいで産まれるという親孝行。
このつづきは、また今度。

     
 
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思い出のアルバム